“いなだ詩穂氏の「ゴーストハント」”について思うこと。

6巻を読むまで、自分の中にずっとあった、心地悪さの正体が分からなかった。悪霊シリーズがメディア展開するにつれ、色んな人の解釈が加わって、その人なりの“悪霊”が出来上がっていく。それは概して“悪霊シリーズ”という作品から生まれたものではあるが、決して“悪霊シリーズ”自体ではない。私にとっては、“悪霊シリーズ”と呼べるものは、小野不由美氏の手によって書かれたものだけである。「〜なりたくない」をなかよしでやれないのは明白だった。しかし、書き下ろしでシリーズ続行!と聞き、かなり期待した。あの素敵にグロい文章もきっと表現されるだろう!と。しかし、やはり文章と漫画では表現方法が違うのだ。6巻は私の中の美山邸とは全く異なる世界だった。確かに忠実に表現してある。しかし、このギャップは何なのか。GHに、私が原作に感じたものと同じものを求めていたのだ。いなだ氏も、元はいち読者であったはずである。本を読んで、同じ感想を持つ必要は何処にも無い。GHは、いなだ氏を通して語られる“悪霊シリーズ”である。1巻で小野氏も書かれていたが、漫画は漫画家のイメージで描かれるのである。おそらく、“悪霊シリーズ”を読んだ人それぞれが皆違う描き方で漫画を描くだろう。それが、私のものと大きく違っていただけなのだ。それだけなのだ。しかし、それがとても重い。私の中では、THありき、である。しかし、漫画のみの読者も勿論いるだろうし、漫画ありき、の方もいるだろう。非常に気持ち的に複雑である。漫画をきっかけに読者が増えて、悪霊を好きな人が増えるのは、すごく嬉しい。けれど、私がTHのナルに感じたトキメキと同じものは、GHには無い。GHにあるぼーさんの清潔感が、THには無い。仕方ないことである。しかし、同時に非常に私を寂しくさせるのである。

これほど愛した作品は、生涯の中でもうないだろうから。

だから、私は“自分の感じた悪霊シリーズ”を表現しようとして、絵を描いている。動画を作っている。デザインしている。サイトを運営している。

だから、いつか“自分の感じた悪霊シリーズ”を全て表現できた時、このサイトは役目を終えるのだろう。いつまでかかるか分からないけれど。

 

自分にとってすごく大事なことだと思ったから、書き留めておく。

20011012703